人はなぜ生きる?
人はなぜ生きる?
人が生きる意味とは?
ある人の話を聞いたことをきっかけに、少し考えてみた。
『人生は出会いの総和である』
と、少し難しいことを誰かが言っていた。
『人生はどれだけ人に出会うことが出来たか』
が大事だ、と言うのである。
確かに、人が喜びを感じるとき、誰かの存在がそこにはある気がする。
喜びだけじゃない。
怒りや悲しみも、誰かがいるからこそ、人と関わるからこそ感じる、とも思える。イライラだってそうだ。
ちょっと極端なことを言うなら…
もしも、この世界に自分以外、誰もいなかったら、
喜びや悲しみは感じるのだろうか?
もしも、この世界に自分がたった一人なら、誰とも話すことがないし、喜びを共有することもない。
誰もいなければ、誰かに認められることも、褒められることも、叱られることもけなされることもない。
誰もいなければ、自分はどんな人間だとか、考えることもない。
自分と他人を比べることがないからだ。
自分は背が低いとか、カッコ悪いとか、太っているとか、頭が悪いとか、運動ができない、とか一切考える必要がない。
なにせ比べる対象が何もないのだから。
自分がこの世界にたった一人なら、誰かと関わることによるストレスもイライラもない。そういう意味ではいいこともあるように思える。
その代わり、人と関わることによる喜びもない。
別の例でこういうことがあったらどうだろう。
無人島にただ一人で、生きていかなくてはならないとしたら…
まずは、生きていくために、食べ物や水が必要だ。
そして寝る場所も用意しなくてはいけない。
そういうふうに、まずは生き残るために必要なことをするだろう。
そして、確実に生きていくことができるようになったら、次に求めるものは何だろう?
生きるのに役立つ道具を作ろうとするだろうか。
または、自分が楽しむための面白い道具を作ろうとするだろうか。
日々を生きることに不安がなくなれば、
つまり、暇ができれば、何かをしたいと思うのかもしれない。
道具作りであったり、色々と思いつく工夫を試してみたり。
そんな中で物作りや様々に工夫することに喜びを感じることもあるかもしれない。
そして、上手く道具が作れるようになってきたら、その先は…
色々と考えて色々な物を生み出すことができるようになってきたら、
その先にあるものは…
『誰かと関わりたい』
と思うことではなかろうか。
誰かと関わって思いを分かち合いたい。誰かと関わって喜びや悲しみを共有したい。
そんな思いが芽生え、
自分と同じように生きている誰かの存在を求めて、島を出るための船などを作ろうするのではないか。
自分以外の誰かの存在を求めて。
自分以外の誰かの存在を信じて。
そして、誰かの存在を求めて、そのために力を尽くす。
そうやって、力を尽くした先に本当に誰かに出会えたなら、それは、言葉では表せないほどの喜びに違いない。
人間として、喜びや悲しみなど、心が動くということ、つまり、感動というものは誰か他の人の存在があってこそなのだ。
誰かと関わり、その中で、喜びや悲しみを感じたり、嬉しいことがあったり、辛いことや、大変なこともあったりする。
誰かの存在があるから、比べることもあるし、頑張ろうと思うこともある。
沢山の経験をして、人間として成長していく。
色々と面倒くさいことも多いけれど、やっぱり人と会うからこそ、人がいるからこそ、
『生きている』
ことを実感するのだと思う。
たった一度の人生、
私は、「この人好きだな」って思える人といっぱい出会いたいし、いっぱい関わりたい。
それは、実際に人に会うだけでなく、本という世界でも出会うことができる。
好きだなと思える本を読むことも人に出会うことだ。
一生という限られた時間の中で、好きな人にどれだけ出会えるか。好きな人とどれだけ関われるか。
それが私の生き甲斐だ。
人はなぜ生きるのか?
と聞かれたら、私は、
『人は、好きな人に出会うために生きている』
『人は、好きな人に出会うために生まれてきた』
そう答えたい。